今日、7月9日は大井川鐵道でSL(蒸気機関車)が復活運転を始めてからちょうど50周年を迎えました。
昭和51年(1976年)7月9日、私は高校1年生でした。
その前年、昭和50年12月14日に室蘭本線でC57135がけん引する列車が最終の旅客列車として走り、その10日後、12月24日に夕張線でD51241がけん引する貨物の最終列車が走り、日本の国鉄線上からSLけん引の列車が消えました。
この時の私の心の中での喪失感は大きかったですね。
ところがそれから半年ほど経過した時に、大井川鐵道にSLが復活するというニュースが流れました。
私は狂喜乱舞する感じでした。
あのSLが帰って来たからです。
その日から今日で50年。
50年とひとことで言っても、皆さんそれぞれの人生を歩まれてきていることでしょうから、とてもひとことでは言い表せないと思いますが、大井川鐵道では50年の歳月を経て、今日でもSLがきちんと走っています。
ただ、一つここで私が申し上げたいことがあります。
それは、大井川鐵道は今から10年ほど前に名鉄が引き上げた時に会社が無くなる危機があったのです。
名鉄が大きな負債を抱えた大井川鐵道から引き揚げた時点で、大井川鐵道は会社整理になるところでした。
これは紛れもない事実です。
大井川鐵道はSL動態保存40年、会社設立90年を待たずして、会社が消滅していたのです。
ところが、その危機を救ってくれたのが、今の大井川鐵道の株主であるエクリプス日高という親会社です。
そして、その後、コロナ禍があり、台風水害による土砂崩れがあり、危機的状況が続いていますが、親会社が今でもしっかり支えてくれています。
私は社長としてそういう大井川鐵道を何とか救いたいと考えています。
そして、それが私の人生に大きな影響を与えてくれた大井川鐵道という鉄道に対して、人生の晩年を迎えた私にできる感謝であり貢献であると考えています。
今、大井川鐵道では黒い蒸気機関車をしばらくの間封印し、トーマスとパーシーという2台のキャラクタートレインとしてSLを走らせています。
その理由は他でもありません。会社を存続させるためです。
日本の国鉄からSLが消えてすでに半世紀以上が経過し、当時のSLを知っている人たちは確実に少数派になってきています。
昭和の蒸気機関車の旅情を知る人たちがだんだんと少なくなってきています。
そして、そういう昭和の旅情だけでは乗客数が伸び悩み、会社を維持することが困難になってきているのが経営を取り巻く環境です。
趣味の人たちは機関車を青や緑に塗るなどとかけしからんと言われていますが、私には会社の経営を預かる人間としての判断が求められます。
従業員や家族の生活をきちんと守っていくのが、まず第一に私の責務です。
どうぞその辺りのご事情をご理解いただき、今、一生懸命頑張っているトーマス、パーシー、そしてブルートレインにご支援、ご声援をくださいますようお願い申し上げます。
私は昭和の蒸気機関車とそれを取り巻く情景や旅情というものの価値を誰よりも理解していると自負しています。
なんとか会社を維持し、全線運転再開の暁にはもちろんですが黒いSLを復活させ、旧型客車の列車だけではなく、オハニを連結した混合列車や貨物列車なども復活させたいという夢を持っています。
今、C56‐135も整備を進めていますが、12系を連結した姿も若い皆様にとって見たらきっと懐かしいシーンになるかもしれません。
鉄道というのは人を乗せて運ぶだけではありません。
その人の人生そのものを乗せて運ぶのです。
今、お父さんお母さんに連れられてトーマスやパーシーに乗りに来た子供たちが、SLに乗ったという思い出を持って次の時代の日本を作っていくのです。
その時には、国鉄のSLを経験した私たちはもういないかもしれませんが、今のちびっ子たちがきちんとバトンを受け取って次の時代を作って行ってくれる。
そのためには一人でも多くのちびっ子たちにSL列車に乗ってもらいたい。
これが先代の白井昭氏が行ってきたことであり、その意思を次の世代につなげていくためにトーマス、パーシーはそのための仕事をしている。
私はそう考えています。
皆様方にもどうぞそのようにお考えいただいて、大井川鐵道をどうぞ温かく見守っていただきたいと思います。
大井川鐵道は長年支えていただいた皆様方のおかげで、本日、SL復活50周年を迎えました。
これから次の50年に向けてSLが育む鉄道文化を繋いでいきたいと考えています。
どうぞ、これからも大井川鐵道に温かなご支援とご声援をいただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

